絵本好きの方であれば、ヨシタケシンスケさんをご存知の方は多いと思います。
いま日本で一番売れている絵本作家さんのお一人ですね。
ヨシタケシンスケさんの絵本は子どもが読んでも大人が読んでも面白い、本当に楽しい絵本ですね。
ユーモラスで発想力に富んで、思わずニヤッとしてしまう絵が大好きです。
ヨシタケシンスケさんのどの絵本を見ても感じるのは、そういうものの見方をしますか~と言う着眼点と、それを絶妙の言葉で紡ぐ表現力の素晴らしさですね。
そんなヨシタケシンスケさんの絵本処女作であり代表作のひとつ『りんごかもしれない』をTA心理学(交流分析)の視点で紐解いてみます。
TA心理学は、ギスギスした人間関係をま~るくしてくれる心理学です。
『りんごかもしれない』には、どんな知恵が詰まっているでしょう!
りんごかもしれないはヨシタケシンスケさんの作品
『りんごかもしれない』はヨシタケシンスケの作品です。
この絵本はヨシタケシンスケさんのデビュー作で数々の賞を受賞しています。
それだけ、楽しめる作品せあることがわかりますね。
第6回MOE絵本屋さん大賞 1位
第4回リブロ絵本大賞 第2位
第7回この本よかっ! 第2位
第2回静岡絵本大賞児童書新作部門 第3位
第3回街の本屋さんが選んだ絵本大賞 第3位
第61回産経児童出版文化賞 美術賞
ヨシタケシンスケさんは『りんごかもしれない』中で次のように紹介されています。
1973年神奈川県生まれ。筑波大学大学院芸術研究家総合造形コース修了。日常のさりげないひとコマを独特の角度で切り取ったスケッチ集や、児童書の挿絵、装画、イラストエッセイなど、多岐にわたり作品を発表。絵本デビュー作となる本作で、第6回MOE絵本屋さん大賞1位、第61回産経児童出版文化賞美術賞、『りゆうがあります』で、第8回MOE絵本屋さん大賞1位など、数々の賞を受賞し、注目を集める。
著書に、『しかもフタが無い』(PARCO出版)、『結局できずじまい』『せまいぞドキドキ』(講談社)、『デリカシー体験』(グラフィック社)他多数。
絵本に『ぼくのニセモノをつくるには』『このあと どうしちゃおう』『もう ぬげない』『こねて のばして』(ブロンズ新社)『りゆうがあります』(PHP研究所)『つまんない つまんない』(白泉社)などがある。2児の父。
テレビで初めてヨシタケシンスケさんを見たときは、ちょっと”こわもて”であんまり近づきたくない印象でしたが、話し始める愛情あふれる優しい、ちょっと”ぬけた”お父さん、といういう感じでした。
ヨシタケシンスケさんの詳しいプロフィールはこちらを参照してください。
りんごかもしれないのあらすじと内容(ちょっと、ネタばれ)
『りんごかもしれない』のあらすじは次の通りです。
ネタばれの部分もありますので、まだ読んでいない方は、読んだ後の方が良いかも…
絵本だから大丈夫かなぁ(^^)
『りんごかもしれない』 ヨシタケシンスケ/作 ブロンズ新社
あるひ、学校から帰ってきた男の子。
テーブルの上にりんごが置いてあった。でも・・・
もしかしたら・・・りんごじゃないかもしれない!
そこから始まる男の子の妄想!?
大きなサクランボの一部かもしれない…
中身はブドウゼリーかもしれない…
剥いても剥いても皮かもしれない…
反対側はミカンかもしれない…もしかしたら、赤い魚が丸まっているかもしれない!?
まだまだ続く妄想の連鎖。
溢れ出す妄想は止まることを知りません。
メカ? たまご? 家の種?
小さな星? 宇宙人がいっぱいいる?髪の毛とか帽子が欲しい、かも…
別のものになりたかった…かも…心がある!?…かも…
兄弟がいる?
らんご、りんご、るんご、れんご、ろんご…
妄想が膨らむと、違う視点も生まれるようです。
違う方向に思いを馳せます。
そもそも何でここにあるんだろう?
お母さんが買ってきた?
お父さんが酔っ払って持ってきた?
もしかして、罠!でも…
もしかしたら…
やっぱり
普通のりんごかもしれない…
そう思うと、食べたい欲求がむずむずして…
おかあさん、これ食べていい。
ガブ
モシャモシャモシャ
ごっくん
…うんおいしいかもしれない。
これでもか!というくらい続く、楽しい妄想(発想、創造)。
「かんがえる」ことを果てしなく楽しめる、発想絵本、と出版社「ブロンズ新社」では紹介しています。
絵がユーモアに富んでいるところもこの絵本の魅力です。
表紙と裏表紙を見ているだけでも、なんだろう、とワクワクさせ、楽しくなってきます。
魚かもしれない、と思わせる絵は4コマ漫画のように見せています。
りんごの中の機械の絵は、さもありなん!と思わせるように詳しく描かれています。
タマゴ(りんご)から生まれてくるものは、怪獣(のようなもの)やロボット(のようなもの)であったり、髪の毛や帽子が欲しいと思っている想像の世界に登場するものは、七三分け、パンチパーマ、三つ編み、シルクハット、カブト、消防士、ターバン、おじさんなど、25個も描いています!
赤い顔にいろんな髪形や帽子をかぶっている、だけなんですが、見ているとこんな人いるかも、と妙に納得してしまいます。
兄弟がいるかもの場面では、「あんご、いんご、うんご・・・」と50音のひらがな順埋め尽くしています。
通常の50音表記は右から左にあ行~わ行になっていますが、この絵本は右から左にあ行~わ行になっています。
それだけのことですが、ちょっと新鮮な気持ちになれます。
それぞれに書かれているものは、まさにヨシタケシンスケワールドですね。
「りんご」以外は、「?」なものばかり。
どこからこの発想が生まれるのでしょう(^^)
楽しい発想の絵がページを埋め尽くします。
実際にあるものであったり、全くの空想のものであったり、頭の中をワクワクで満たしてくれます。
たったひとつの「りんご」で、こんなに話を広げる常識はずれで予想外の発想は、絵本が魅力がぎっしり詰まった作品となっています。
りんごかもしれないの対象年齢は何歳から
では『りんごかもしれない』の対象年齢は何歳からが良いでしょう?
絵本は、基本的には年齢に関係なく楽しめます。
絵本は、文字も絵も見て楽しむことができます。
自分で読むのではなくパパやママの読み聞かせであれば、もっと楽しめますから、字が読めなくても充分に楽しめます。
ただ、言葉の意味やニュアンスが解らなければ本当の意味で楽しむことができないこともあります。
なので、成長に添って楽しんだほうが良いということも、その通りです。
この『りんごかもしれない』は、「~かもしれない」という疑問、空想をしている男の子の姿が描かれています。
絵から見た男の子の雰囲気は小学生くらいでしょうか。
また、絵本の中に50音で兄弟を表現している場面があります。
「あんご、いんご、うんご・・・をんご、んんご」
おもしろい発想ですね。
ひらがなの読み書きは5歳位までにできるようになると言われています。
ひらがながわかること、男の子が主人公であることを考えると、この絵本の対象年齢は小学生くらい、5歳から6歳くらいからが良いのではないかと思います。
もちろん、子どもの成長、発達や興味、関心には個人差があります。
お子さんの様子を観察し、子どもが絵本を楽しんでいることを最優先に考えましょう。
りんごかもしれないをTA心理学で紐解くと・・・
では、これからTA心理学(以下、TAと略します)的に、この絵本を見てみましょう。
絵本は「楽しければいいじゃない!」と、私も思いますが、私の中のもう一人の私が「なぜ?」を知りたがって仕方ありません!
そこで、TAを使って、その理由を考えてみたいと思います。
絵本をTAで読み解くと、絵本がなぜ楽しいのか、ちょっとだけ理論的に理解できます。
絵本とTA、私の興味を駆り立てる2つを掛け合わせて考えると、とても刺激的で楽しい結果が待っているでしょう。
今回はTAの理論の基礎となる「自我状態」を使ってみてみましょう。
自我状態とは、人の心(パーソナリティ)を、3つの「自我状態」に分けて表現します。
(P):親(Parent)・・・親や親的役割の人をコピーした、親のように振る舞う思考・感情・行動
(A):成人(Adult)・・・[今、ここ]での直接の反応として、成人のように振る舞う思考・感情・行動
(C):子ども(Child)・・・子ども時代の記憶の反復として、子どものように振る舞う思考・感情・行動
人は、親に言われたことを言われたことを忠実に守って行動したり、子どものように無邪気に振る舞ったり、あるいは、今ここで怒っていることに対して冷静に振る舞ったりできます。
このように、TAでは、自分の中に「親」「成人」「子ども」の3つのパーソナリティを持って、感じたり、考えたり、行動したりしていると考えます。
この自我状態と使うと、今の自分の自我状態に気づき、うまくいかない状態の原因を発見し、自分で問題解決の方法を考えることができるようになります。
自我状態についてはこちらも参照してください。
人間関係に疲れたと感じたら...人は誰でも役を演じている。あなたは何を演じているのでしょう。「自我状態」を考える
りんごかもしれないの主人公の男の子の自我状態
まずは主人公の男の子自我状態を見てみましょう。
この男の子、何歳くらいでしょう。
わたしは、小学4,5年生くらいだと考えました。
自分の直感ですので、あまり深く考えていません。
りんごを見つけたとき
この男の子、最初にりんごを見つけたとき、りんごを見つけて「ラッキー!」とか「おいしそう」と思っていません。
冷静に「アレはなんだ」と思っています。
いきなり「りんご」のようなものを分析しようとしています。
これは自我状態の「成人(A)」だったと考えられます。
このように、冷静に客観的に今目の前にあることに対して対応するのが「成人(A)」の特徴です。
りんごを見つけてからの妄想(発想、創造)
しばらく「りんご」への分析は続きます。
書かれている言葉だけを追うと「成人(A)」で考えているように思います。
「もしかしたら おおきな サクランボの いちぶかもしれない。」
「ひょっとして あかい さかながまるまっているのかもしれない。」
「なかは メカが ぎっしりなのかもしれない。」
いろんな見方で「りんご」を分析しています。
でも、その発想は突拍子もなくユニーク。
発想だけ見てみると、無邪気な「こども(C)」の発想にも思えます。
ただ、それだけ経験を元にして、冷静に考えているシチュエ―ションなので、やっぱり「成人(A)」ですね。
…どこで、これだけの知識を持ったんでしょうね。
お父さん? テレビ? ネット? 何でしょうね…
りんごがなんでここにあるのかと、疑問に思ったとき
「そもそも なんで ここに あるんだろう」と疑問が浮かびます。
ここで考えていることは、経験をもとに考えていることがあります。
「お母さんが買い物で買ってきた」
「お父さんが酔っ払ってどっかから持ってきた」
これらは、自分の体験で学んだことです。
誰から教わったものではなく、自分で理解したことですね。
このように、幼児期に体験したて身に付けたことは「こども(C)」に蓄積されます。
なので、ここでは「こども(C)」の自我状態が働いた、と考えられます。
ここでも、突拍子もない妄想は続きます。
この妄想も「こども(C)」からと思えますが、真剣に考えている様子は「成人(A)」ですね。
りんごをたべたとき!
最後に、普通のりんごかもしれないと思い、食べたい欲求がむずむずしてみます。
「おかあさん、これ食べていい。」
ここは普通に「食べたい」ことをお母さんに伝えているだけなので「成人(A)」です。
その後、モシャモシャモシャ食べた感想は、
「おいしいかもしれない。」
「わあ、おいしいぃ!」と書いていれば「こども(C)」の自我状態からの感想と言えますが、冷静に「おいしいかもしれない。」と言われると「成人(A)」の自我状態で事実だけを話しているように感じます。
食べたときの絵を見ると、ちょっとニヤリとしているような、喜びを押し殺しているけれど、おいしい、っと思っているように見えます。
絵と一緒に重ね合わせて見ると「こども(C)」かなぁと思います。
ヨシタケシンスケさんの絵本は、子どもの感情を押し殺して大人の言葉を使って表現しつつ、絵では感情を見事に表していて、そのギャップが面白さになっているように感じます。
ヨシタケシンスケさんの絵本の感想に「シュール」と表現されることがありますが、それが、そのギャップになるでしょうか。
りんごかもしれないを読み聞かせた時の子どもの反応は?
小学生の子どもたちにヨシタケシンスケさんの絵本を読み聞かせる機会がありました。
子どもたちは読み聞かせを真剣に見て聞いています。
感想を言葉にする子もいます。
内容的に難しいかもと思うところも、そんなことは杞憂でしかなく、ジーっと絵を見ていて、変幻自在なストーリーにツッコミを入れたり、声を出して笑っていました。
子どもたちの楽しい、面白いと感じる自我状態の「こども(C)」に届き、感情豊かな「こども(C)」を育てる絵本に間違いないですね。
りんごかもしれないの作者ヨシタケシンスケさんの自我状態
「婦人公論.jp」に作者ヨシタケシンスケさんのインタビューがあります。
(”ヨシタケシンスケ 母は「あなたは好きなことをやっていくのよね」と信じてくれた 2019年04月13日”「婦人公論.jp」参照)
『りんごかもしれない』が生まれたのは、編集者の方から「絵本を描きませんか」とメールをいただいたからだそうです。
以前にも、絵本を書かないかと声をかけてもらったことがあるそうですが、形にすることができなかったそうです。
それは、お母さんに絵本の読み聞かせをしてもらっていた影響で、ヨシタケシンスケさんは絵本を読むのが大好きだったそうですが、いざ自分が絵本を作るとなると、自分が絵本を作る意味があるのだろうかと考えてしまい、手が止まって描けなかったそうです。
そんなヨシタケシンスケさんに、編集の方がテーマの候補をいくつか用意し、その中のひとつに「りんごをいろいろな目線で見てみる」というものがあったそうです。
編集の方も、面白い目線を思いつくものですね。
それに応えるヨシタケシンスケさんもすごいと思いますが…。
ヨシタケシンスケさんが絵本を作る時に大切にしているのは、自分が子どもだった頃に考えていたことに加えて、自分の子どもから「あ、それ僕もやってた、やってた。気持ちいいよね」と裏を取ってい確認することだそうです。
自分の経験だけでなく、みんなが「そうそう」とうなずくような、普遍的な「あるある」にするために、いろいろ考えているのですね。
逆に言うと、私の経験を子どもたちに重ねることで、「やっぱりそうだよね」と自分を納得させることもできそうです。
自分が納得できることは自己肯定感を高めることにもつながりそうですし。
子育てをしていて、日常生活の中の意味も価値もないかもしれない何気ない出来事を、メモして拾い集め、それを表現しているからこそ、リアリティがあっておもしろいのでしょうね。
このように作品を作っているヨシタケシンスケさん。
絵本を書いているときは、「子ども(C)」と「成人(A)」をフルに使って捜索しているのだと思います。
自分の中の「子ども(C)」、子ども時代に体験したワクワク感や驚き、疑問や悲しみなどに加えて、「成人(A)」の体験や感情を重ねて淡々と描き上げていく。
そんな風に感じます。
絵本を使うと、ちょっと難しいTAの理論も楽しく見ることができます。
ヨシタケシンスケさんの作品は、楽しく学べる題材です。
ヨシタケシンスケさんのNHKあさイチでのトークはこちらもご覧ください。
ヨシタケシンスケさんの絵本に対する想い あさイチのトークより
コメント