三浦春馬さんが人生のステージを降りてしまいました。 あなたは自分のステージを演じ続けられますか?

三浦春馬さんが自ら命を絶たれたという、とてもショッキングなニュースが流れました。
コロナのニュースが多い中、三浦さんもか、一瞬思いましたが、自ら命を絶ったという、さらにショッキングな内容でした。
心から安らかな眠りとご冥福をお祈りいたします。

私が三浦さんの作品で最初に知ったのは「14才の母 愛するために 生まれてきた」(2006年)でした、
14歳の中学生が妊娠し、命の重さを知るという内容でしたが、その相手役の男の子が三浦さんでした。
すごく整った顔立ちの、スッとした役者さんだなぁと感じたことが思い出されます。

その後の活躍は、言わずもがなですが、私にとって名前と顔が一致している役者さんは多くないので、今回の件は「なぜ」との思いが強く、とても残念でやり切れない思いがあります。

どうして自ら命を絶ったのかはご本人しかわかりません。
ただ、自分で決断した結果なのだろうと思います。

このニュースに接し、改めて「生き方」について考えてみました。

私たちは、生まれたからこれまでの人生を振り返ると、同じような決断やシチュエーションを繰り返してきたことに気づきます。
それは、幼少期に体験したり、親から言われ続けたことに根差したものです。

・大事な時に限っておなかが痛くなってしまい結果を残すことができない。
・結婚したいと願っても、断られるの怖くて結局結婚に踏み切れない。
・絶対に間違っているとわかっていても、周囲に遠慮してそのことを指摘できず、後で気がついていたことを言って、結果的にみんなに責められてしまう。

このような経験が、1回限りではなく、2度、3度繰り返される場合、ある法則に則って行動している可能性があります。

そんな法則なんて意識したことないし、自分で考えていないし、押しつけられていない、そう思われるも無理ありません。
この法則(ルール)は幼少期に、潜在意識に植え付けられたものなので、おとなになった今、無意識に自動的、反射的に反応してしまルールなのです。

このようなルールについては、多くの心理学でいわれていますが、TA心理学では「人生脚本(Life Script)」といっています。

「人生脚本」とは、無意識の人生計画である、と定義されています。
この人生計画は、、幼少期に作られ、両親や子育てにかかわった人たちによって補強されます。
その後の人生においても、人間関係の中で起こる様々出来事を「やっぱりね。」と正当化し、いくつかの選択肢があるにもかかわらず。普段と変わらない選択肢を選び、いつもと同じような結論になることに安心感を覚えます。

こんな実験があるそうです。

ハイハイのできるようになった10カ月のあかちゃんに、黄色い車のおもちゃを見せる実験です。あかちゃんがおもちゃに近寄ったらミルクを与えます。これを何度も繰り返しすと、おもちゃに近づけばミルクがもらえることに気がつきます。すると、黄色いおもちゃに興味を持たなかったあかちゃんが、何度も黄色いおもちゃに近づくようになります。あかちゃんは黄色いおもちゃが好きになったのです。このあかちゃんは、黄色いおもちゃだけでなく、黄色いものすべてが好きになっていきます。
こうして、そのあかちゃんが成長しても、黄色いものが好きな子になっています。その人の「嗜好」となります。本人は、なぜ黄色が好きなのか思い出せません。

例えば、花子ちゃんという女の子がいたとします。

花子ちゃんの家では、花子ちゃんが泣くと何でも彼の欲しいものを買ってあげました。このような体験を何回も繰り返ししてきた花子ちゃんは、「泣けば、何でも欲しいものが手に入る」「思い通りにならなければ泣けばいい」と、彼女の生き方の基本となる考えが植え付けられます。

小学生になると、新しい生活集団、社会生活が始まります。
その生活の中でも、「泣けば、何でも欲しいものが手に入る」「思い通りにならなければ泣けばいい」を演じようとしますが、それまでのような結果は得られません。そこで、少し脚本を手直しします。男の子や年上の人達の中ではうまくいく! このように脚本のベースは変えずにより確実なものにしています。

中学・高校の思春期に入ると、体格的、精神的に成長し、知識や体験も豊富になり、親に反発したり、甘えてみたり、自らを主張してみたり、それまでの脚本を確かめるような行動をとって、さらに脚本を強化し、仕上げていきます。

人生脚本は、「誕生から始まり、今現在(中間点)を経て、死を迎える」、というドラマの形式で繰り広げられます。

TA心理学の哲学に、「自分の運命(人生)は自分で決めて、いつでも自分で変更できる」があります。

人は、すべて自分自身の決断で、今の自分があるのです。

メンタリストのDaigoさんは、三浦春馬さんの印象を、とてもまじめで繊細な方だったと評しています。
そのようなまじめさ、繊細さは三浦さんが幼少期から積み上げた脚本なのかもしれません。
そのようにすることが三浦さんにとっての生き方なのだったのではないかと思います。

ただ、できることなら、自分お決断を変更してほしかったと願わずにはいられません。
直接かかわりのない人間の言うことですが、悲しい決断だったと思います。

TAの目的は、「自律性を高め自分らしく生きること」です。

「自律性」とは、「人生脚本から自由になる」ことのと言われています。
言い方をを変えると、自律性とは、「『今、ここ』での現実への反応としての行動、思考、感情で、脚本に基づく反応ではないもの」となります。
ようするに、脚本に影響されていない行動、思考、感情です。

脚本を演じている場合、人はそれまで積み上げてきた居心地の良い自分の枠の中で考え行動します。
脚本に影響されている限り、それまでの自分から抜け出すことはなかなかできません。

それに対して、脚本に影響されない「自分」を意識し、選択を試みる場合、最初のうちは居心地が悪くしっくりいかなかったとしても、これまで制約された選択しかなかったものが、より多くの選択肢から選べるようになることで、これまでとは違う自分を演じられるようになります。

このような決断をすることができれば、自分らしく生きるために「自律性」を高めることができるようになるでしょう。

『エドワルド せかいで いちばん おぞましい おとこのこ』という絵本があります。

『エドワルド せかいで いちばん おぞましい おとこのこ』
ジョン・バーニンガム/作
千葉茂樹/訳

エドワルドは、何をやっても怒られ、非難され、そのたびに、もっともっと同じことをくりかえし、そして、
「世界中の誰よりもおぞましい子どもだ」
と言われました。
ところがある日、いつもと同じ行動をしたのに、良いことをしているね、とほめられるようになりました。
ほめられたエドワルドは、ほめられた行動を繰り返しするようになりました。
そして、エドワルドは、
「世界中で一番素敵な男の子だ」
と言われました。

エドワルドは、何をやっても怒られるのであれば、何をやってもよい、悪いことをしたって平気でした。
でも、ほめられたことで、ほんの少し行動を変え、みんなから評価されるようになりました。
この行動を変えたのはエドワルドの決断です。
エドワルドが決断するためには、周りの見方、評価の影響の見過ごせません。
でも、エドワルドは、周りの評価が変わることで、自分の行動を変える決断をしたのです。
その結果、エドワルドは、世界で一番「おぞましい子」から「すてきな子」に代わりました。

自分のこれまでの生き方を変えるのは難しいかもしれません。
でも、変える決断をすることはできます。

そのためには、何かのきっかけが必要かもしれません。周囲のサポートが必要かもしれません。
人生をよりよくするために、自分のこれまでの人生を振り返り、自分の人生脚本を探してみても良いかもしれません。

人生を自らの手で終わりにするような決断をしないように、これからの人生を考えたいと改めて思いました。

(参考文献)
『ギスギスした人間関係をまーるくする心理学 エリック・バーンのTA』
安部朋子 著
西日本出版

『TA TODAY 最新・交流分析入門』
イアン・スチュアート/ヴァン・ジョインズ 著
深沢道子 監訳
実務教育出版

『パパは脳研究社 子どもを育てる脳科学』
池谷裕二
扶桑社新書

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