私は、ここ数年、朝ドラをほぼ欠かさず観ます。
今は、「エール」が放送されています。
「エール」は作曲家古関裕而さんと、その妻・金子さんをモデルに、
その生涯をフィクションとして描いています。
主演は窪田正孝さん、ヒロインは二階堂ふみさんです。
今回の「エール」は今までの朝ドラより、
コミカルな表現がふんだんにあり、
ちょっと「民放」ドラマのような感じがします。
その分、軽い感じで観れます。
登場人物の名前も、実在の自分物の名前を連想させるものが多く、
それを考えるのもちょっとした楽しみです。
主な登場人物は次の通り
(配役・・モデル)
古山裕一 ・・ 古関裕而(主人公/作曲家)
古山 音 ・・ 古関金子(主人公の妻/声楽家)
双浦 環 ・・ 三浦 環(オペラ歌手)
木枯正人 ・・ 古賀政男(作曲家)
村野鉄男 ・・ 野村俊夫(作詞家)
佐藤久志 ・・ 伊藤久男(歌手)
小山田耕三・・ 山田耕筰(作曲家)
山藤太郎 ・・ 藤山一郎(歌手)
高梨一太郎・・ 高橋掬太郎(作詞家)
藤丸 ・・ 音丸(歌手)
今は、コロナの影響でこれまでの放送分を
再放送しています。
コロナはいろいろなところに影響しています。
小山田耕三を演じた志村けんさんもコロナで
お亡くなりになりました。
心からご冥福をお祈りいたします。
朝ドラエールですが、様々な人間模様があり、
登場人物それぞれの心の葛藤が描かれています。
その人間模様や心の葛藤をTA心理学で紐解いてみると
なかなか面白い考察ができます。
もちろん、TA心理学を学んでいないと
「なんのこっちゃ」と感じるかもしれませんが、
「そんな風に考えられるんだ」と思うと、
実際の生活のあらゆる場面で応用できることがわかります。
実際の生活の場での応用は、
私たちの生活を、より生きやすいものにしてくれます。
では、どのような考え方があるのかみていきたいと思います。
まず、どの場面にも通用する、TAの基本的な理論があります。
それは「自我状態構造モデル」です。
人がどのような構造(仕組み)になっているのかを図で示しています。
それは、人間は、
親のように振る舞う「親:Parent(P)」
成人のように振る舞う「成人:Adult(A)」
子どものように振る舞う「子ども:Child(C)」
の3つのパートが存在すると考えです。
この3つの状態のことを「自我状態」と言います。
それぞれ、
(P):親や親的役割の人をコピーした思考・感情・行動
(A):今、ここでの直接の反応としての思考・感情・行動
(C):子ども時代の記憶の反復としての思考・感情・行動
と説明されています。
自我状態は、ある出来事に対して常に一貫した行動パターンを示します。
例えば、私がだれかに怒鳴られた時に、委縮して硬直し、黙り込んでしまったとします。
この黙り込む行動は、幼いころに体験した記憶に反応し、自動的反射的にとった行動と考えられます。
このような行動と、それに関連した感情と経験は、常に同じパターンを示します。
例えば、裕一が大将からいじめらる場面があります。
このとき、大将はいくじなしの裕一が許せなくて、
大将の(P)から裕一の(C)に対して厳しい言葉を投げかけます。
きっと大将は、意気地なしの態度をとられると、
常に同じ感情を感じ、相手に対して強い態度を示す行動をとります。
このように、その人がどのような状態であるかを考えることで、
自分がどのような状態であるのかを整理することができるようになります。
この「自我状態」は、この後の説明の基本となります。
では、これまで放送されたいくつかの場面を例に見ていきましょう。
場面1
子どもの頃、裕一は大将からいじめられていました。
その時の会話(やりとり)と分析するのが「やりとり分析」です。
「やりとり分析」は、
この会話、うまくいっていないな~、とか
あの人から何か言われると、どうして委縮しちゃうんだろう、
というように感じているとき、その原因を調べるのにとても役に立ちます。
最初に説明した「自我状態」で考えると、
大将は意気地なしの相手には、自分の(P)から相手に対して、強い態度、口調で話します。
それに対し裕一は、自分の(C)で受け止め、何も言い返すことができず、耐えることしかできません。
このように、「やりとり」を分析することで、自分の感情や行動を振り返ることができ、
その後の行動を変えることができる気づきを得ることができます。
場面2
夫婦喧嘩をした翌日の朝、朝食の場面
豊橋出身の音は納豆嫌い、福島出身の裕一は納豆が大好き。
裕一は音に見せつけるように、
「あーおいし、納豆はなんておいしんだろう」と
音に見せつけるようにわざと大きなしぐさで納豆をかき混ぜます。
そのしぐさや言い回しは、お父さんにそっくりです。
このしぐさや言い回しが親から似ているのは、
親から幼少期に教わったものが表れているからです。
TAではそれを「脚本(script)」と言います。
「脚本」は、幼少期(6歳くらいまで)に親から言語・非言語で経験したで形作られます。
ひとは、普段の生活パターンや、様々な出来事が起こった時に
無意識的、自動的、反射的に特定の行動パターンをとることがあり、
それは幼少期の経験に影響されている、といわれています。
ドラマを見ていると、この裕一の動きはお父さんそっくりだ!、
と思わせる場面がいくつか見られます。
それらは、コミカルに描かれていることが多く、
思わず、ニヤッとしてしまいます。
普段、親と同じ言動や行動をすると、親子だね、と言われて終わりますが、
実は、心理学の理論で説明できる行動なのです。
場面3
子どもの頃、裕一はいじめられっ子でした。
いじめられたとき、彼は笑ってその場をしのごうとしました。
おかしくないのに笑ってごまかそうとする、
ストレスがかかった時に表出する感情を「ラケット感情」といいます。
裕一の場合、自分がいじめられたときに、
言い返したり、泣いたりするよりも、
笑うことで、その場をやり過ごすできる経験を積んだのでしょう。
そのため、ドラマの中では、いじめられたとき、または怒られたときに
笑う場面が何度か見受けられました。
裕一の妻音の場合、自分が納得できないことを言われると、
怒った表情に変わるのがよくわかります。
このように、人は感情を表に出しているときに、
本来の感情ではない、ラケット感情を出していることがよくあります。
例えば、本当は悲しいのに怒りだすケースもそうです。
ラケット感情は本来の自分の感情ではありませんから、
問題に直面した場面では問題解決を妨げてしまう感情になります。
今、自分の表している感情が、本来の感情なのかラケット感情なのか
把握することで、問題解決に向けて自分自身を見つめなおすことができます。
絵本では、次の作品があります。
『おこだでませんおうに』
くすのきしげのり/作
石井聖岳/絵
小学館
主人公はいつも怒られている。
友達からサーッカーの仲間に入れてあげないと言われ、
あーそうですか、と言ってパンチとキックをして泣かしてしまった。
この場面は、本当は仲間に入れてあげないと言われ悲しい気持ちを隠して
暴力をふるってしまうという場面を表現しています。
この絵本では、主人公が気持ちをうまく表現できない、
そんな場面がいくつかあります。
おとなのジャッジが子どもにとても影響していることを
考えさせられる絵本です。
場面4
裕一が故郷を捨てて東京に旅立とうしているとき、
父親の三郎が裕一に向かって言いました。
「おめえが家族を捨てても、俺はおめえを見捨てねえ」
この言葉を聞いて、裕一は三郎に抱きつき、ひとしきり涙を流します。
この、三郎が裕一に向かって言った言葉を、TAでは「ストローク」と言います。
「ストローク」は「心の栄養」ともいわれ、
精神的・身体的に健康な状態を維持するために必要なものとされています。
三郎が言った言葉は、お前のことをずっと見守っている、という、存在を認めてもらった
最高のストロークだと言えます。
ドラマの中でも、相手を勇気づける、元気にさせる場面がいくつかあり、
それらを見ている私たちも、ドラマの場面を自分事でとらえると、
自分自身に対しても元気づけられる言葉となります。
絵本には「ストローク」を与えている話は多くあります。
例えば
『うまれてきてくれてありがとう』
にしもとよう/ぶん
黒井健/絵
童心社
生まれてきたてうれた赤ちゃんに対して、
あなたのことが愛おしい、愛しているという
無条件の愛を伝えている絵本です。
「うまれてきてくれてありがとう」
まさに、最高のストロークのお話しです。
『たいせつなきみ』
マックス・ルケード/作
セルジオ・マルティネス/絵
ホーバード・豊子/訳
フォレストブックス
ウイミックスという木の小人の世界
エリという彫刻家が作りました。
ウイミックスのパンチネロは、
みんなから、いつもダメシールを貼られていた。
そんなパンチネロにエリは言いました。
「おまえが大切なんだよ」
パンチネロはうれしくて言葉も出ませんでした。
ひとを心から認めてあげること、
ストロークをあげる大切さを気付かせてくれます。
今回紹介した理論のほかにも
「ゲーム理論」「値引き」「準拠枠」「OK牧場」「ライフ・ポジション」などがあります。
ひとつひとつの理論は、別の機会に詳細をお伝えしていきたいと思います。
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