無くて七癖 私はなぜ同じことを繰り返してしまうのか?

私には、なぜか繰り返してしまう行動パターンがあります。
理由は分かりませんが、気がつくとその行動をとっています。

友人から相談を受けたときに、私は話しをしっかり聴きます。しっかり聴いてから、それからアドバイスをしたり、友人の気がつかない問題点を話そうと思っているのです。その時です。私は、友人のことを思って、直接核心には触れずに、遠回しに話をしようとします。それをやり過ぎて、遠回しに話しをし過ぎて問題の核心から離れてしまい、結果的に何の話をしているのかわからなくなってしまうこともあります。
友人からも言われます。直接聞いてもらったほうが良かった、と。

なぜ、私は直接聞けなかったのでしょう。
これは、その時だけの特別なことではなく、私にはよくおこる行動パターンです。

今は、そのことに、あらぬ方向に話が進んでいると気がつくようになったので、話がそれてしまうことは少なくなりましたが、それでもたまに起こります。
起こっていることは、自分では気がつきません。普段通り話しをしているつもりなのです。

この「普段通り」が私の行動の「癖」です。自分では気がつかない、意識していない行動です。

『なくて七癖』と言います。
goo国語辞典によると「人は多かれ少なかれ、癖を持っているということ」となっています。
この同じことを繰り返す行動パターンも一つの癖と言えるでしょう。

この「癖」はいつから行っているのでしょう。

TA心理学から見たときの、ひとつの考え方をお伝えしたいと思います。

●人生脚本(脚本)

TA心理学では、私たちの人生を、生まれてから死ぬまでの一つのドラマとして捉え、ドラマを演じるための脚本が存在していると考えています。その脚本のことを「人生脚本」もしくは単純に「脚本」と呼んでいます。

脚本は、早期の決断に基づいた無意識の人生のパターンです。たいていの場合、その早期決断は、子どもの頃に自分自身が意識することなく無意識に作られていきます。
そして、両親や、子育てに関わった人たちにと一緒に過ごした環境の中で補強され、両親以外の人たちとの人間関係の中で起こる様々な出来事によって「やっぱりね」「そうだよね」と正当化し、納得し、いろいろな選択肢があるにもかかわらず、最終的に一つの同じパターンを選択してしまうのです。

大人になってからの生活パターンや、様々な出来事に対して、無意識に、自動的、反射的に反応してしまうパターンは、自動的の経験に大きく影響されているという考え方は、TA以外の心理学でも言われています。

いろいろな行動パターンを見てみましょう。

・大事なプレゼンテーションを行う直前など「ここ一番」という場面になると、体調が悪くなって思い通りの結果をだせない。
・結婚したいと思っているけれど、どうしても結婚に踏み切れない。
・周りの目が気になって、自分のことは差し置いて周りを優先してしまう。
・自分の良いところをほめてくれているのに、「そんなことはありません」と素直に受け取れない。
・ぐずぐずしている人を見ると、ついついイライラして強い口調で怒ってしまう。

このように、これまでの人生を振り返ると、うまくいかないことが、2度、3度繰り返し起っていることがあるのではないでしょうか。

自分自身のうまくいかなかった行動をちょっと振り返ってみてください。何か起こった時に同じような行動をしているとすると、それは脚本を演じている可能性があります。脚本を演じていることが意識できると、そこから解決策を見つける糸口が見つかるかもしれません。

●脚本はいつ作られる?

4半世紀以上生きてきて(これを読まれている方はおそらくそれくらいの年齢の方が多いと思います…)、自分は脚本に従って生きているんだ! といきなり言われてもいい気分ではないですよね。
脚本なんて、いつ、だれが決めたんだ、と思いますよね。

脚本のネタ(元)は、生まれてから4~5歳までの体験から集められます。

親や親せき、特に親代わりになっている大人の言動やしぐさ、家のルール、しきたりなど、見たり、聞いたり、感じたりしたことをどんどん記憶していきます。記憶したものは潜在意識として記憶していきます。これが脚本の原型となっていきます。

小学生になると、これまでとは全く異なった環境で集団生活が始まり、家族の中で作ってきた脚本を、家族以外の他人の中で演じることになります。そこでは、それまでうまくいっていたことがうまくいかない経験をしていきます。その経験から、少し脚本を手直しすることにします。

思春期に入る中学生の頃からは、これまで作り上げてきた脚本を、社会生活の中で再確認していきます。ここで、社会生活をしていくうえで自分の脚本がそのまま使えるのかどうかを確かめます。

そして、20歳~22歳で脚本を作り上げます。

ここで作り上げた脚本(人生計画)は、その後の様々な出来事によって微調整することはあっても、人生を終えるまでその脚本を演じていくことになります。

●脚本はどのように作られる?

先ほど脚本は20歳~22歳までに作られるといいましたが、もう少し具体的な事例で、どのように作られるの、かみていきたいと思います。

例えば、花子ちゃんの家では花子ちゃんがあれ欲しい、これ欲しいと言っても最初は「ダメです!」と買ってあげません。でも花子ちゃんが泣いて駄々をこねると、最終的には「しょうがないわね。今度だけですよ」といって買ってあげていました。「今度だけですよ」と言いながら、結局そのパターンが繰り返され、花子ちゃんは「泣けば欲しいものが手に入る」ということを覚えていきます。言い換えると「思い通りにしたいときは泣けばいい」ということを覚えます。
この体験は花子ちゃんのその後の人生の脚本形成の一つの種となっていきます。
まだここでは、花子ちゃんは意識して泣くわけではなく、無意識の中(潜在意識)にこの種を植え付けます。

花子ちゃんは成長していくと「泣けば思い通りになる」体験と、「泣いても思い通りにならない」体験をしていきます。彼女の周りの反応によって、彼女のやりたいことを決定する方法として「思い通りにしたいときは泣く」が使えるかどうか覚えていきます。仮に「泣けば思い通りになる」体験ばかりしていくと、この方法は自分おやり方として育っていきます。彼女は「泣けば思い通りになる」という脚本を演じることを覚えました。

そんな花子ちゃんも小学生になり、家族や親せきとは違う、全く異なった環境で集団生活をすることになります。小学校での生活は、家族の中で演じてきた脚本を、家族以外の他人の中で演じることになります。他人の中で演じると、それまでうまくいっていた結果(思い通りになる)が得られなくなることも増えていきます。
それまでは、うまくいかなくなっていつも通り泣く花子ちゃん。でも周りは同情してくれたり、声はかけてくれますが、欲しいものは与えてくれません。そこで彼女はこの脚本はうまくいかないこともあるというを経験していきます。経験によっては、全くうまくいかない、逆に自分が怒られたり、みんなから疎外されるような経験をすれば、「思い通りにしたいときは泣く」という脚本を書き直すようになります。

でも、すべての人に対してはうまくいかないけれど、人によって反応が異なることを経験した花子ちゃん。少しこれまでの脚本を手直しすることにします。
例えば、女の子同士で泣いても同情されるばかりで欲しいものが手に入らないけれども、年上の人にはうまくいったとします。また、友達の男の子の反応は、おろおろしたり、怒ったり、同情されたり、でもうまく結果を得られるときもありました。このように様々は反応がある経験を積むと、ただ泣けばよいといういだけではうまくいかないことを学びます。周りの反応が人によって異なってくる経験を重ねていくと、彼女は脚本を少し手直ししていきます。たとえば「年上の人にお願いをするときには(思い通りにしたいときは)泣けばいい」というように小悪魔的な脚本に手直しされていきます。このように集団生活を通して彼女の脚本は成長・進化していきます。

さらに成長し、中学生になった花子ちゃんは思春期を迎えます。思春期は、身体も大人へと変化し、知識や体験も豊富になり、ほとんど大人と変わらない言動をしますが、精神的には不安定さを残しているので、親に反抗したり、従ったり、好奇心から社会的に認められていないことを行ったりとても危うい時期ですが、このころにこれまで積み上げてきた脚本を、社会生活の中で再確認します。ここで、社会生活をしていくうえで自分の脚本がそのまま使えるのかどうかを確かめます。確認した結果、その脚本が強化され確固たるものになっていきます。

そして、花子さんの脚本は20歳~22歳までに作り上げられます。その後の様々な出来事によって多少調整することはあっても、人生を終えるまでその脚本を演じていくことになります。

●脚本とのつき合い方

このように脚本は、幼少期の体験をもとに形成され、だいたい20歳ころまでに確立すると言われています。
何かうまくいかない行動をするときに脚本の考え方を意識すると、立ち止まって考える機会が得られます。
TA心理学の哲学の中に「自分の運命(人生)は自分で決めて、いつでも自分で変更できる」という考え方があります。

脚本についても同じことが言えます。

これまでの、そして今の自分は、自分自身が決めた脚本に影響されています。でも、脚本はいつでも変更することができるのです。

人生100年の時代と言われています。
20歳といえば人生の5分の1が過ぎたくらいです。
書き換えることは容易ではないかもしれませんが、変更することはできるのです。
決めるのは自分自身です。

『のら猫のかみさま』という絵本があります。

『のら猫のかみさま』
くすのきしげのり/作
狩野富貴子/絵
星の環会

のら猫は小さなころから、人に追われ、犬に追われ、そして同じ猫にまで追われながら、命がけで食べ物にありついていました。自分以外はすべて敵と思って生きてきたのです。あるとき、年老いた犬いる家にやってきました。そこには、犬が食べ残したご飯がありました。全神経を集中させて犬の様子をうかがいながら、食べ残しを食べました。次の日もまた次の日もやってきました。でも犬は見て見ぬふりをしています。猫は用心しなくなり大胆になっていきました。それから、のら猫に3匹の子猫が生まれ、一緒に犬小屋に連れて行くようになりました。子猫は犬を用心することなく、犬も子猫と一緒に過ごしています。あるとき犬は子猫に語り掛けます。「私もここに来る前はやせぽっちの野良犬だったのさ」と。のら猫は気がつきました。なぜ、犬が食べ残しを食べるのを見て見ぬふりをしていたのかを…。ある寒い夜、年老いた犬は最後の時を迎えます。のら猫は振り絞るように言いました「いつもいつも餌をくれて、ありがとう」生まれて初めていった「ありがとう」でした。

小さいころから生きることに精いっぱいで、だれも信用することのなかったのら猫。でも年老いた犬と出会い、彼の気持ちを知り、優しい心、思いやりの心知ります。彼女の誰も信用できない心に変化がうまれ、悲しみを知り、思い切りこえを上げて泣くことができるようになりました。彼女の「誰も使用しない」脚本は少し書き換えられました。

何がきっかけとなり、人のことろに変化を及ぼすかはわかりません。
でも、脚本を知っていると、その後の行動を見直すきっかけが得られるかもしれません。

自分の思い込み、うまくいかない行動など思いおこしてみてください。

(参考文献)
『ギスギスした人間関係をまーるくする心理学 エリック・バーンのTA』
安部朋子 著
西日本出版

『TA TODAY 最新・交流分析入門』
イアン・スチュアート/ヴァン・ジョインズ 著
深沢道子 監訳
実務教育出版

 

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