ALS患者さんの嘱託殺人事件に想うこと 揺れ動く心の葛藤

7月23日、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の女性から依頼され、医師2名が嘱託殺人容疑で逮捕されるニュースがありました。
ALSは神経の中で運動神経だけが麻痺していき、やがて全身が動かなくなってしまう病気です。徐々に、しゃべることも、食べることも、呼吸することもできなくなってしまい、最終的には死を迎えることになります。

子どもの頃、近所のおばさんがALSにかかって長く療養していたことが思い出されます。その当時は、身体が動けなくなるなんて大変だな、くらいに感じていました。ただ、それ以上深く考えることもなく、筋肉が動かなかくなってしまう病気があるんだ、とその病気の存在を認識したくらいでした。

最近、といっても2018年ですが、私はOriHimeという分身ロボットに出会い、ALSの患者の方を意識するようになりました。
ALSを患っている患者さんを意識したとき、そのとき衝撃的だったのが、ALSの患者の方の意識や知能、聴覚、視覚は正常だ、ということです。

●身体が動かないということ

意識ははっきりしているのに、身体が動かない。
私もこの状態を体験したことがあります。

数年前、アキレス腱を切るけがをして、手術をしました。その際、麻酔をかけたのですが、手術後麻酔から覚めても、まだ身体の自由が利かない状態でした。
意識ははっきりしているのに、身体の自由が全く利かないのです。自由が利かないというより、身体がない、感じない、触れない、そう、存在しない、そんな感じでした。
意識があっても体が動かない、何とも言えない不安感に襲われました。「ある」べき身体が「ない」。テレビなどで事故で身体を失った人たちの場面で絶望が映し出されますが、身をもって感じられました。

私の場合は、麻酔ですから時間が経てば、元に戻ることは分かっていました。それでも、このままだったらどうしよう、元通りになるのかなぁ、と不安はよぎります。
寝ては覚め、うつらうつらしているとき、身体が動くか、必ず確認しました。徐々にベッドの布団に触っている感触、重さを感じはじめ、動かそうと意識して、身体が動くようになった時は、心からほっとする安堵感がありました。身体が「ある」。ただ「ある」ことに喜びを感じました。

ALSの患者さんは、麻酔のように元に戻ることはありません。意識があっても体が動かない。今、私がこの診断を受けたとすれば、相当な恐怖感に襲われ、平気ではいられません。手術後に感じた、不安感がよみがえります。元に戻ることのない不安感です。
どんどん身体が動かなくなるのは恐怖です。自分は自分として存在しているのに、思うとおりに行動できない。一生動けない、そんな人生に絶望してしまうかもしれません。生きる価値を見出せず、死にたくなるかもしれません。

●生きるためには「刺激」が必要

TA心理学の創始者エリック・バーン博士は、人は「社会的接触」が少なくなると精神的なバランスをくずし、健康を維持できなってしまい、最悪、命を落とす危険性があると言っています。

私達は、本能的に、生きるために人同士の「関わり」や「接触」を手に入れようとします。
なぜならば、社会との「関わり」や「接触」、総じて外からの「刺激」がないと、健康状態を害し、最悪死んでしまうからです。

現在のコロナ下で私たちも経験するところとなりました。
私たちは長期間、社会との関わりや人同士の接触が制限されると、精神的に不安定となり、精神面の不調が表れてくるということを。

ALSの患者さんは、まさにそのような状況に置かれてしまうのです。
人が本能的に欲してる「刺激」の大部分を制限されてしまうのです。

ALSの患者さんには「意志」があります。自分で考え、判断でき、感情もあります。ただ、それを伝えることができないのです。

「生きること」と「生かされること」は根本的に違います。24時間介護となった時、多くの人は患者さんを「生かされる」人と見ているように思います。
ともすれば、介護従事者の中にもそのような人がいるかもしれません。何もできないのだから、命をつなぐお手伝いをしているのだと。

「生きたい」けれど「生かされて」いる。
そんな彼らの希望となったのが分身ロボット「OriHime」だったのです。

●OriHime(オリヒメ)とは

OriHimeは株式会社オリィ研究所代表の吉藤オリィさんが開発した分身ロボットの名前です。
OriHimeは自動で動く自走ロボットではありません。パイロットが操作をして動かすロボットです。
OriHimeはパイロットの「分身」です。パイロットの意思を表現するのです。

OriHimeは、生活や仕事の環境、入院や身体障害などによる「移動の制約」を克服し、「その場にいる」ようなコミュニケーションを実現します。
OriHimeにはカメラ・マイク・スピーカーが搭載されており、インターネットを通して操作できます。学校や会社、あるいは離れた実家など「移動の制約がなければ行きたい場所」にOriHimeを置くことで、周囲を見回したり、聞こえてくる会話にリアクションをするなど、あたかも「その人がその場にいる」ようなコミュニケーションが可能です。

遠隔操作でありながら、「その場にいる」という感覚を双方向で共有できます。

例えば、次のような使用シーンが想定されます。

・入院や身体障害などで通学できない児童が、OriHimeで「友だちと一緒」に授業を受ける。
・育児や介護、入院や身体障害などで通勤が困難な人が、OriHimeでテレワークを行う。
・海外赴任先から、OriHimeで日本の友人の結婚式に参加する。

OriHimeの特徴として、まず、かんたん操作があります。いろいろな入力装置が準備され、視線だけでも操作できます。
二つ目は、本人に見えてくるデザインです。喜怒哀楽様々に見えてくる能面を参考にデザインされ、OriHimeと(を通して)話をしていると、操作をしているパイロットの表情を想像でき徐々にOriHimeが本人に見えてきます。
三つめは、豊かな感情表現が準備されています。事前に登録された動作と自由に動かせる腕が感情表現を豊かにしてくれます。絵文字を使って感情表現をするイメージが近いでしょう。

(以上、オリィ研究所ホームページ参照)

●生きる希望

OriHimeと出会い、ITが生きる補助をすることで、生きる意志さえあれば、よりよい人生を過ごせるということがわかりました。
OriHimeを操作されている方をパイロットと言いますが、パイロットの皆さんは、生き生きとしています。社会生活ができる喜びに満ち溢れています。
まさに「生きること」の手足を得た感じでしょう。

今回の事件を聞いて、とても悲しく思うとともに、ALSに罹患された方の苦痛や悩みを改めて知るところとなりました。
自分の想いが叶わない、ともすれば「生かされている」ことを強要され、想いは封じ込められてしまう。
「生かされている」ことを強要される苦痛はどれほどのものだっただろうと思います。

第三者が見聞きしただけの情報で評価することは差し控えたいと思いますが、今、自分自身が同じ立場であれば、「生きる」ことを選択すると思います。
いざ、その時になってみなければ、不安、苦痛、無力感など耐えられるのかわからないことではありますが、今の自分は、「生きる」ことを選択します。
「OriHime」が目の前にあるのです。そして、自分には、人に伝えたいことがあります。
OriHimeを通じて、自分の想いを伝えていく。それが「生きる」ことの選択となります。

OriHimeがあるということは、身体が動かなくなっても、今と同じ活動ができるのです。
職場で働くか、テレワークで働くか、その違いくらいの感じです。

実際には、難しい問題があるかもしれませんが、ALSに罹患したとしても「絶望」よりも明日への「希望」が強いと思えます。
職場で働けないのならテレワークで働く。身体が動かないなら、OriHimeを使って働く。
「生きる」ゴールが同じならば、方法、やり方を変えればよいのです。
ひとりでできなければ、ヘルプをお願いすればいい。
必ず道はあります。

『どんなかんじかなあ』という絵本があります。

『どんなかんじかなあ』
 中山千夏/文
 和田誠/絵
 自由国民社
 ※第11回日本絵本大賞 受賞

 指先と目と口しか動かない女の子、いつでもにこにこしている素敵な女の子。そんな彼女と話して、いろいろ考えて生まれた作品だそうです。
 主人公はひろくん。いろいろな障害を持つひろくんの友だちとの話しが、私たちにいろいろな考え、想いを運んでくれます。

「今ここ」、に生きること。
それが、どんな環境であっても「生きる」ことの意味になるでしょう。

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